「上弦の鬼=病気説」を全否定してみる。突っ込みどころ満載のこじつけ論法もいい加減にどうぞ。

※アニメを通り越して原作のネタバレを盛大に含んでおりますのでその界隈の方はご注意ください。
「上弦の鬼=病気」って本気で言ってる?
どうもこんにちは。鬼滅の刃100週目のあきたりょうです。やや今更感がありますが、本当に面白い作品だと思います。そりゃその辺の小学生が傘で「水の呼吸!」とかやってるわけです。私が小さい頃は「アバンストラッシュ!」でした。
アニメは特に作画が凄い。戦闘シーンの迫力が本当に凄い。うちの古いテレビでは処理落ちしそうなほどの深みのある描写に毎回感動しています。ストラッシュ!
ところで、私が特に面白いと思ったのが「鬼」という悪役の設定でした。
家族を、友人を、大切なものを理不尽に奪っていく存在。
鬼滅の刃の世界観の中心とも言える「鬼」とは、どこからやってきて何のために存在するのか。
インターネットでいわゆる「まとめサイト」を開いてみると、「鬼=病気(疫病、伝染病)の象徴」という裏設定がにわかに囁かれているようでした。
詳しく読んでみると、特に上弦の鬼について、なるほど次のように考察されているようです。
- 上弦の壱 黒死牟 … 黒死病(ペスト)
- 上弦の弐 童磨 … 結核
- 上弦の参 猗窩座 … 麻疹
- 上弦の肆 半天狗 … ハンセン病
- 上弦の伍 玉壺 … アメーバ赤痢
- 上弦の陸 妓夫太郎・堕姫 … 梅毒
いや、なんだこのこじつけは。
そもそも“病気”への結びつける文化、よくない
最初は「ふ~~~ん」と思いながら読んでいましたが、ちょっと考えればこの説が無理筋であることは明白でしょう。
- 名前が似ている
- 色や姿形がなんかそれっぽい
- 症状の一部を連想できる
こういった表面の一点だけから強引に病名に結び付けているように感じています。
考察を楽しむ姿勢自体を否定するつもりはありませんし、こじつけ考察をネタとして楽しむ分には良いと思うのです。私が疑問符を付けたいのは、物語の本質から外れた診察ごっこのような、病気への雑な結びつけ。
フィクションの悪役と実在する病気を直接結びつけて怖がるのは、深みのあるキャラクター・実在の病気に苦しむ人、両方への浅はかな冒涜にも見えるのです。
鬼たちはそれぞれ、濃く、深く、キャラクターとしての魅力とドラマがある。
そんな鬼たちを、現実の病気をフィクションのキャラクターの象徴として、安易に扱うことはそもそも慎重であるべきで、吾峠先生がそんな軽挙妄動を行うことも想像できません。
「上弦の鬼=病気」は無理筋。鬼は人間の成れの果て
強い鬼ほど、人間時代の「トラウマ」「心の闇」「生への執着」が強く傾向があります。
鬼滅の刃の「鬼」は、人間の成れの果て。
人間が社会構造に打ちのめされ、人間としての理性を捨て、加害を繰り返す理不尽な存在。
「鬼は人間が変質した姿」なのだから、人間とは全くの別概念である病気と結びつけるのは無理があるというものです。
この記事では、ちまたで囁かれている「上弦の鬼=病気(疫病、伝染病)」説を全否定したいと思います。
病気やその患者を揶揄する意図、考察支持者に対する攻撃的な意図はありませんので、その辺あしからずお手柔らかにお願いします。
名前が似てるだけ選手権優勝「黒死牟=黒死病(ペスト)」説
名前が似ている以外の根拠はどこですか???
「黒死」という言葉のインパクトに引っ張られて「牟」だけどこかへ行ってしまいました。
もはやダジャレの領域です。
一応考察の根拠としてはこう👇
- 「黒死牟」という名前が「黒死病」を連想させる
- 上弦の壱(=上弦最強の鬼)という設定が、世界最凶の伝染病という位置づけと一致する
「世界最凶の伝染病」も誤りではありませんが、致死率でいえば狂犬病やエボラ出血熱、死者数でいえば結核や天然痘が上位に当たります。
仮に「最悪の病気=最強の鬼」の裏設定を採用するなら、黒死牟は“最悪ランキング”で他の感染症に負けた瞬間、どうすればいいのでしょうか。
まさか裏設定でも、黒死牟には劣等感を背負えというのか…?
黒死牟は、「透き通る世界」を習得した月の呼吸の使い手でありながら鬼になり、上弦最強の座に君臨するという超カッコイイ設定を持ちますが、ペストはノミ(または飛沫)が媒介するばい菌です。ばい菌。
黒死牟という鬼の本質は、
- 長男としての弟への嫉妬
- 武道を極めることへの際限のない執着
- “武家の長男"という呪い(家父長制、長男至上主義の時代背景)
といった全く別のところにあります。
その彼の深すぎる物語を、名前が似ているだけでばい菌扱いするのは、無理があると言わざるを得ないでしょう。
血鬼術で肺を壊死させる…からってなんやねん「童磨=結核」説
結核は、結核菌という細菌が、肺胞をじわじわと壊死させることで、呼吸困難や多機能不全を引き起こす病気。
よく語られている根拠はこう👇
- 肺を氷結させて壊死させる血鬼術をもつ
- 童磨を倒した栗花落カナヲが片目を失明したことが、結核の治療薬の副作用(視力障害)と重なる
「肺を氷結させることで肺胞を壊死させる」から、「結核菌が肺胞を壊死させる」への連想ゲーム自体には特に矛盾はありません。
合わせて、結核の治療薬に「視力障害」があるという点と、"栗花落カナヲの失明"も関連付けると面白いですが…
…
伊之助は?彼はノーカン?
童磨の血鬼術は、桁違いの初見殺しチート能力です。
吸ってもアウト、触れてもアウト、喰らっても当然アウト。あまりにも強すぎる能力がゆえ、そのたとえは伝染病というより自然災害の方が近いでしょう。
結核を再現しているというよりも、童磨の心の冷たさや、鬼殺隊(=呼吸使い)を完封し効率よく殺そうという彼の合理性の高さが反映された結果と見るほうが整合性が高いように思います。
猗窩座ファンと麻疹に謝れ「猗窩座=麻疹」説
こじつけランキングぶっちぎりの独走状態なのがこちらの「猗窩座=麻疹」説になります。根拠が薄すぎてサガミもびっくりです。あ、すみません。
主に語られている根拠がこちら👇
- 麻疹で特徴的な赤い発疹が、猗窩座の紋様に似ている(似てない)
- 麻疹の古い呼び方「赤斑瘡(あかもがさ)」が名前と似てる(似てない)
そもそも猗窩座の紋様や技のモチーフに“病理要素”が一切ありません。
- 猗窩座の技 … 花火が由来
- 猗窩座の体にある模様 … 罪人の入墨が、全身に広がっているように見える
- 破壊殺・羅針の紋様 … 恋雪の髪飾り
のように、単行本の話間ページで吾峠先生によって語られています。
猗窩座のドラマは人間時代の心の傷(トラウマ)です。
弱者への慈愛とその喪失による自我の崩壊、"強さ"でしか自分を証明できない"弱さ"、過去の苦しみから逃れられない心的外傷という呪い。
映画をご覧になった方は、病気説などとうに吹っ飛んでいることでしょう。
猗窩座のドラマは、そんな浅はかな考察では語れないのです。
良ければ個別深堀り記事もご覧ください👇️
それ大丈夫か?「半天狗=ハンセン病」説
半天狗は、「上弦の鬼=病気説」の中でも屈指のセンシティブ案件です。
考察民が好き勝手言っていますが、全然違うのでやめとけ。やめときなさい。
主に語られている根拠はこちら👇
- 名前の響きが似ている。もうええて。
- 半天狗の外見造形に皮膚の瘤、変形が見られる
- 被差別の歴史と、半天狗の「被害者ヅラ」が似ている
- ハンセン病は「らい病」とも呼ばれ、半天狗の「嘘つき(英語で"lie")」が共通
これは、ちょっと…
まず前提として、ハンセン病は現在では治療法が確立し、隔離の必要もなければ適切な治療で外見的特徴は抑えられ、これが全員に出るわけでもない。これを無視して外見の結び付けをするのは危険が過ぎるのでは?
一方で半天狗は、
- 自分の罪を認めない
- 責任を他人に押し付ける
- 臆病と怒り、いろいろな感情が分裂
- ワシは悪くない!と被害者ポジションに逃げ続ける
という“心の逃避と異常なまでの他責性”をもつキャラクター。
病気のメタファー要素は皆無であり、むしろ心理テーマを取り扱ったキャラと見た方がよっぽど面白いですよ。
個別深堀り記事も良ければどうぞ👇️
半天狗を心理学で紐解くには、怪物すぎて1つの記事にまとまりませんでした。
この話はもう“無し”でしょう。
にょろにょろ可愛いみんなのぎょこたん「玉壺=アメーバ赤痢」説
おいおい、俺の玉壺たんだけなぜ寄生虫なんだ?主に語られている根拠はこちら👇
- アメーバ赤痢によってできる潰瘍がフラスコ型(つぼ型)
つぼ型の潰瘍というのは、寄生虫が大腸粘膜に侵入した後、横に広がって浸食した結果です。
一応、併せて語られる事が多いのが、「玉壺が操るのは水や魚の血鬼術」で、「アメーバ赤痢も、生活水を媒介にして伝染する」という、共通…点…?
アメーバ赤痢は、要はアメーバ赤痢に感染した人のう◯こが混ざった◯んこ水を飲むことで感染するというのが実態の大半。玉壺をうん◯扱いするのはここまでにしましょう。
※ちなみに、「玉壺」という名前は鬼舞辻無惨による命名であり、意味は「きれいで大切な壺」。
玉壺の核は、
- 他者を見下すが、幼児的で中身がない
- 倫理を逸脱した自己中心的な芸術
- 異常な承認欲求
つまり、中身スカスカ芸術家コンプレックスのようなものがモチーフであり、寄生虫は関係ない。お疲れさまでした。
事の発端な気がする「妓夫太郎・堕姫=梅毒」説
結論から言うと生前の2人の母親が梅毒だった"と思われる"、妓夫太郎はそれゆえ先天梅毒だったと"推察できる"だけで「モチーフは梅毒」とするのは短絡的で危険です。
主に語られている根拠はこちら👇
- 2人の母が梅毒であることが妓夫太郎の回想シーンで示唆されている
- 生前の妓夫太郎に、先天梅毒ともとれる外見描写がある
- 妓夫太郎の血鬼術は致死性の"毒"
- 堕姫の生前の名前が「梅」
ということで完全に"連想させにきている"わけですが、これが「モチーフは病気」とするのは短絡的という話です。
作中では唯一病気についての間接的な言及がされているため、信ぴょう性が高い考察として語られがちですが、堕姫と妓夫太郎が語るのは「生まれの不公平」と「兄妹の共依存」であり梅毒そのものの恐怖ではありません。
生きた証を否定され続けた兄と、美貌にすべてを奪われた妹の共依存ドラマが、病理の象徴という考察で片付くはずもありません。彼らは"2人で1つ"なのです。どこを切っても"心理"。病理モデルの出番はありません。
この兄妹の魅力は、
- どんなに歪んでも(鬼になっても)手を離さない
- 価値観が滅茶苦茶でも、お互いに理解者
- 地獄に堕ちるまで一緒
という、世界一いびつで美しい愛。
短絡的に病気に結び付けたらこのドラマが全部薄まってしまうやないか。出直してこい!
便利枠「鳴女」、やんちゃ坊主「獪岳」は???
上弦の鬼=病気、伝染病とするなら、上弦の欠員補充に入った2人は何なの?という話も浮上します。
この辺りの整合性のなさも、「上弦の鬼=病気」説を否定する根拠にはなってくるでしょう。
まとめ:上弦の鬼は"人間社会の闇"と"人間の変質"
パワハラ先生「無惨様」は別記事で考察するとして、人間の闇や恐怖を象徴していると考えるとすべてのキャラクターに納得感が出てきます。
どのキャラも一言では決して表せない深さを持っていますが、あえて言うならば…
- 黒死牟:家父長制という社会構造と、嫉妬・劣等感
- 童磨:感情虚無と、信仰の危うさ
- 猗窩座:トラウマと暴力
- 半天狗:現実逃避と感情の解離
- 玉壺:価値観の暴走と歪んだ承認欲求
- 妓夫太郎・堕姫:生まれの不平等と共依存
- 鬼舞辻無惨:社会に蔓延る"理不尽そのもの(死、病気、災害、犯罪、不運、社会構造)"
- 鳴女:加わる組織を間違えた有能すぎるイエスウーマン ←NEW!
- 獪岳:やんちゃ坊主の暴走 ←NEW!
を、それぞれ象徴していると考えます。後半2名はジョークです。
モチーフを病気と決めつけてしまえば「簡単で面白い」という見方もできますが、鬼滅の刃という作品はもっともっと深いところに本質がある。
また気が向いたときに、それぞれの鬼について深堀考察をしてみたいと思います。
気が向いたら。
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