潰瘍性大腸炎 闘病体験日記②発症から診断まで。

疑わしい症状があるなら、1つの病院だけでなくセカンドオピニオンを設けることや、総合病院を受診することをお勧めします。
こんにちは。まさに今2ヶ月に1回の定期検診を受けに総合病院の待合室で暇なので執筆中のリョーです。ついでに子供の7ヶ月検診の予約も済ませてしごできイクメン風を醸し出して自己満足に浸っております。
定期検診は、症状が落ち着いていれば2ヶ月に一回、調子が悪い時は1ヶ月に一回のペースで受けています。またポリープの発生から癌化するリスクのある病気のようなので1年に1回は大腸の内視鏡検査を受けています。これがまた辛いのですが、背に腹は替えられませんのでケツ穴には犠牲になってもらうしかありません。
前置きもほどほどに、今回の闘病体験日記②では、症状を自覚してから病名が付くまでの約3年間の時系列を書いてみたいと思います。
※少々生々しいうんちの話が出てきますのでご注意ください。
身体の異変を感じる。
元々の体質はそこまでお腹が弱いわけではなかったと思います。辛いものが好きなので、コンビニの辛味噌ラーメンやインスタントの辛ラーメンをよく食べては翌日下痢になるということはありましたが、腹痛を頻繁に起こしたり血便したりということはなかったと思います。
仕事のプレッシャーは比較的大きい職種だったこと、月残業120時間超や休日出勤は当たり前と少々働き過ぎたこと、食生活は上記の通り非常に雑だったことは、体調を崩すには充分な下地だったと今では反省しています。
腹痛と、頻発する下痢
24歳の晩夏くらいから、腹痛と下痢を頻発するようになりました。毎年晩秋に行うプロジェクトで私がリーダーになったことでプレッシャーが強くなったり睡眠時間がより少なく、食生活がより雑になったタイミングでした。当時は「所詮腹痛と下痢くらい誰でもするものだし市販薬でそのうち良くなるだろう」としか考えられなかったのですが、薬を飲んでも良くならないし、便に血が混ざるようになってきてから、「おや?」と思うようになったのです。
お尻を拭くと、赤黒い。
腹痛も「ずっと痛い」と慣れてきてしまうんですよね。腹痛も下痢も慣れてきてしまった頃に、便に血が混ざっていることに気づきました。初めは「ちょっとした違和感」程度にしか思わなかった(今思えば、この時点で感覚が麻痺していた)のですが、徐々に赤黒さが増して便の形もネバネバした感じに。
便意が身体的に「我慢できない」
笑い話のようですが本気で「屁」なのか「便」なのかが分からない、終わりの見えないうんちギャンブル生活がいつの間にか火蓋を切っていました。便も水様便というか、ほぼほぼ液体なのでタラーっと垂れてくることもしばしばありました。正常な身体であれば、便意が来て、直腸で持ち堪えて、パンティーを降ろして便座に座って初めてお花畑にたどり着くわけですが、当時(調子がとても悪い時)はウォータースライダーでお花畑までダイレクトダイブインといったイメージでした。我慢をしようにも、我慢が効かない。今思えば怖いのですが、いつの間にかそれに慣れ、下着の替えを持ち歩くのが当たり前になっていました。
このように調子が悪いときは車の運転、釣り、キャンプもNGでした。とにかくゆっくり何かをするということができない。仕事のない日は家で過ごすしか選択肢がなく、それもストレスメーターを溜める要因だったと思います。
便器の水が真っ赤に
うんちの我慢という概念がなくなってしまい、ただそれにすら慣れてしまうという狂った生活をしていた私でもさすがに「これは異常」と思わされた出来事でした。用を足すと、便器の水が真っ赤になっていたのです。お尻から出てきたのは便ではなく鮮血でした。さすがにコリャマズイということで、病院を受診する決意をしたのでした。
病院を受診してみる。
風邪などで受診したことのある、昔からそこにある診療所(消化器内科)に行ってみました。結果から言うとファーストアクションは完全に失敗でした。タイミングが悪かったのもあると思いますが、これが大きな失敗だったと思います。
整腸剤を処方され、大腸カメラの準備
「一度大腸の中を見てみましょう」と言うことで、大腸カメラの説明をされ、カメラの日までは整腸剤を処方してもらい様子をみる事になりました。
大腸カメラを受けるためには腸の中を綺麗さっぱり何もない状態にしないといけないので、前日から断食、当日絶食しつつ朝5時くらいから腸管洗浄剤みたいなものを合計2L飲むという何かの修行ですかと言いたくなるような苦行に耐え忍び病院に行きました。
大腸カメラで炎症は発見されるも…
潰瘍性大腸炎にみられる諸症状は認められたもののそちらの先生曰く「びらん(炎症)が飛び飛びになっていて連続していない」とのことで断定には至らなかった模様。非常い疑わしい状況ではあるものの病名を付けるには至らないとのことで、それはそれで良かったのですが、嘘かと思う本当の話。潰瘍性大腸炎を含む色々な病名の可能性を説明されたそののち、最終的に先生様にこんなことを言われました。
「最近不特定多数とのそういう行為はありませんでしたか?」
………ん?それはつまり男同士での乱交をしませんでしたかと言うことを聞いているのか?ん?いや、まぁ確かに世の中には色々な人がいるからね、ヒアリングは大切ですから…無いですと答えると返ってきた言葉はこう。
「そうですか。現時点では病名を付けるに至らないので、様子見で」
整腸剤で様子見、一時寛解してしまう
まぁ今思えばそれで引き下がってしまった私も私だったのですが、まさかそんなことを聞かれるとも思っておらず、まぁ先生様も聞きづらいことを聞いてくれたってのもあるとは思いますよ。ただこれだけ腹痛や下痢や血便に苦しんでいるところ正直何というか何とも言い難い感情になりその場を去りたかったのは事実でして、腹も減ったしとにかく帰りたかった。
そして、整腸剤の影響か一旦調子が良くなってしまったんですね。病院から処方される整腸剤でお腹の調子が良くなったことは一度もないので(苦笑)今思えばあれはいわゆる自然寛解期だったのだと思います。病院で覚えた怒りの感情はいつの日か忘れて仕事に没頭する日々に戻るのでした。
突然の即日入院。
症状を感じ始めて約3年程経ち(時系列にして28歳の年、2019年)、毎年晩秋くらいの忙しい時期に症状が活発化していたものが、晩秋から晩冬くらいまで長引いていました。これもまた「今回長いな」程度にしか考えていなかったのが当たり前ですがまぁ良くなかった。
仕事中貧血でぶっ倒れる。
朝起きれないのは平常運転として、少しの気持ち悪さを覚えて出勤、顧客の前でプレゼンしているとぼんやり意識が遠のきそのまま倒れたようです。当時の状況はよく覚えていません。手足の痺れもあったので貧血だろうということで1時間ほど仮眠を取りましたが念のため自分で車を運転して病院へ。前回のこともあるので、口コミの評判が良かった消化器内科へ車でレッツゴー。
先生「ウチじゃ診れんから総合病院にお手紙書くで。多分そのまま入院やで」
初診でしたので症状と、お腹が痛いこともこの際書いておこうと思いすべて書きました。診察では採血と、血便が日常的に出ていることも伝えてあったので大腸カメラが入るところまでその場で診てもらいました。炎症が酷いことはその場で教えてもらいましたが、採決の結果が出るまで少し横になって休んでいるように言われ、連れて行かれるがまま奥のベッドで横になり、何のかは分かりませんでしたが点滴をしてもらいました。なかなか仰々しいものだな~とか、おおげさにやった方が開業医は儲かるだろうからな~などと失礼なことを呑気に考えていたのは覚えています。
そんな状態で興奮状態のため眠れはしませんでしたが、しばらくすると診察室に連れていかれ、
「かなり重度の貧血で、大腸の炎症も酷い。総合病院でないと難しいので、紹介状を書きます。このまま救急外来へ行ってください。運転が厳しいようであれば救急車の手配もします」
と、言うことで会社に連絡。なにごとだ?とビビりながらも近くの総合病院に自力運転でレリゴーレリゴー。
救急「この状態でよう自力で来はりましたな。入院やで」
救急外来へ着いて紹介状を渡し、同じように症状を伝えるとやはり同じように採血と大腸カメラを。とりあえず栄養補給のための点滴と、血が足りないから鉄剤を点滴。
少し待っていると救急外来の先生から説明がありました。
「身体全体の約30%を失血している状態で、重度の貧血が認められます。この状態でよく運転してこられたというレベルです。もう少しで輸血が必要になるところでした。おそらくこのまま入院ということになると思いますのでそのつもりでいてください。大腸の壁からの出血ですが、ウイルス性か、そうでないかを入院している間に調べることになると思います。」
にわかに現実とは信じがたかったですが、そういうことでした。無理をしたツケがコレか~と。即日入院とは思ってもなく、まぁそれでも2~3日くらいで退院できるなら少し休もうと思えました。結局3週間ほどの職場のプロジェクト開始3日目で全数欠勤という学生時代もやったことのない休み方になってしまいましたが、体調も悪いし入院する以外に選択肢が無かったもので…というのは当時の気持ちで、今はもっと早くに病名特定までできていたら違う人生だったと強く感じます。今普通に幸せなのでどちらが良いかという話ではありませんが、人生における影響としては少々大きすぎたと思っています。
おわりに:少し長くなってきたので続きは次の記事で
次の記事で入院中の生活と病名が付くまでの段階的な診断について書いてみようと思います。ご期待くださいませ。
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