「上弦の鬼=病気説」はもう古い。玉壺が象徴する“歪んだ承認欲求”と人間社会の闇

2026年2月10日鬼滅の刃考察

上弦の鬼=疫病説はもう古い、鬼は社会と人間の闇説鬼滅の刃
あきたりょう
あきたりょう

この記事はこんな人におすすめ

・鬼滅の刃「上弦の鬼=病気説」に違和感がある人

・疫病との無理やりな結び付けに納得いかない人

・伝染病とのこじつけ論が気に入らない人

※アニメを通り越して原作のネタバレを盛大に含んでおりますのでその界隈の方はご注意ください。

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「上弦の鬼=病気説」はもう古い

猗窩座再来の映画が公開され、その深みならぬ浅みが浮き彫りになってきた、「上弦の鬼=病気・疫病・伝染病説」。その界隈で雑に考察されてはなんじゃそのこじつけは…と出てくるため息を抑えきれずに、気づいたら筆が走っているあきたりょうです。ごきげんよう。

すでに2つの記事で完全否定をしている病気説ですが、一応念のため、ため息を吸い込みながらおさらいしていきましょう。

まだお読みでなければぜひお立ち寄りください👇

  • 上弦の壱 黒死牟 … 黒死病(ペスト)
  • 上弦の弐 童磨 … 結核
  • 上弦の参 猗窩座 … 麻疹
  • 上弦の肆 半天狗 … ハンセン病(らい病)
  • 上弦の伍 玉壺 … アメーバ赤痢
  • 上弦の陸 堕姫・妓夫太郎 … 梅毒

何かにレッテルを貼ったり、カテゴリ化するのは人間の性ではありますし、考察を楽しむ姿勢そのものは私は大好きです。100歩譲って童磨なんかはその血鬼術(攻撃方法)に結核のそれを“インスピレーションとして受けた可能性”はゼロではないと思います。ただそれ以外の根拠が少なすぎて、整合性が無いという話をしています。

※既にある考察を断固否定は致しますが、攻撃を目的としていないことは明言させて頂きます。気を害してしまった人がいたらすみません。お茶でも飲みながら読んで頂ければ嬉しいです。

【この記事の結論】

上弦の伍 玉壺は「暴走した価値観と歪んだ承認欲求のなれの果て」

これらの“人間社会の闇”が加害者心理に発展した姿が、玉壺という鬼。

上弦の鬼の裏テーマは人間の負の感情が、どこまで人を変質させるかです。

ビギナーズノート
ビギナーズノート

ちなみに、私は鬼舞辻無惨=病気の象徴だと考えています。正確に言うともう少し広義になりますが、その辺の深堀記事は後ほど展開していく予定なので、ぜひコーヒーをドリップしながらお待ちください。

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歪んだ承認欲求が生んだモンスター「上弦の伍 玉壺」

この記事の仮タイトルが「にょろにょろきゃわたん玉壺たん(ぎょこたん)&WWJ(ワシは/悪くない/爺さん)半天狗」だったことはパラレルワールドの話。玉壺という鬼は、“道徳無し”、“同情の余地無し”、“百害あって一利無し”の悪役三拍子が綺麗に揃った純悪キャラ。おまけに上弦の鬼の中で唯一彼だけは過去回想すら“無し”という徹底した悪役ぶり。

その外見もかなり人間離れしており、読者が理解も共感もできない“純粋悪”としては鬼舞辻無惨に次ぐ存在と言っても良い。物語の起承転結の“転”を担った名脇役で、個人的には結構好きなキャラクターです。

玉壺の行動や心理にはしばしば「自分が美しいと考えるものを他者へ押し付け、強要的に承認を求める」といった描写が見られます。そして、この美意識は他者からすれば理解不能な上に、「死体を芸術の素材にする」などの倫理や道徳を大きく逸脱した禁忌的なもの。玉壺は、その価値観が極端に暴走したモンスターと言えます。

他者からの「自分の価値観に反する言動(自分の価値観と少しでも違う言動)」に対しては激しく怒り狂い、自分の考え、価値観を認めさせようとしていました。さらには劣勢になると壺に隠れて逃げ回るという陰湿ぶりは、SNSにもそういうヤツがいるような気が……

もしかしたら単なる“異常な芸術観”の象徴ではなく、“バズるためには何でもするSNSの承認欲求モンスター”や“議論と称して思想押し付けてくるニキネキ”をデフォルメしているのかもしれませんね。キモカワぎょこたんは、私やあなたの心にも住んでいるのでしょう。

「上弦の伍 玉壺」という鬼

  • 生前は益魚儀(まなぎ)という名前で、漁村の外れに住む“異常な感性”に目覚めてしまった子ども。
  • 幼くして両親を海難事故により亡くした。“異常な感性”に目覚めたのは、両親の水死体を目撃したことがきっかけ。
  • あろうことか両親の水死体を「美しい」と感じてしまった。
  • 以来、違う種類の魚を縫い合わせたり、鱗や骨などを壺に集めて、それを「芸術」と呼ぶなど、異常な行動と価値観の暴走は人間時代から始まっていた。
  • ある日、彼の「芸術」をからかいに来た村の子どもを殺し、死体を壺に詰めて「作品」にしてしまう
  • それがバレて被害者の両親にめった刺しにされ瀕死になるが、半日以上絶命できないところに鬼舞辻無惨がたまたま通りかかり、鬼と成った。(以上、公式ファンブック鬼殺隊見聞録鬼殺隊見聞録 弐 より)

玉壺の過去回想(走馬灯)は原作未登場。公式ファンブック 鬼殺隊見聞録(全2冊)に生前の益魚儀(まなぎ)についての紹介がされています。

玉壺と「アメーバ赤痢」の関係(結論:象徴ではない)

玉壺の血鬼術は「水そのもの」や「水生生物(魚やタコ)」を扱い、彼の真の姿が“半魚人”のような外見であることから、生活水を媒介して感染するアメーバ赤痢と結びつける考察が一部で騒がれています。

しかし、まぁ、アメーバ赤痢は生活排水に汚染された水、つまりう○こ水を飲んで感染するというのが実態ですので、いくらなんでも、う○こ水扱いは可哀そうではないかなと思います。

また、アメーバ赤痢は感染症というよりも寄生虫の部類のため、「人型の鬼=感染症」「異形の鬼=寄生虫」という考察もあるようです。確かに、玉壺はにょろにょろしてて可愛いもんな。気持ちは分かるけど、アメーバ赤痢はにょろにょろしてないし可愛くもない。

他に一番それっぽいのが、アメーバ赤痢は大腸に「つぼ型(正確にはフラスコ型という)」の潰瘍(穴のようなもの)を作るという性質と、玉壺の血鬼術や彼の芸術の根幹である「壺」とが重なるという考察です。これは私も「おっ!」と思いました。玉壺、益魚儀というキャラクターを創る上で、インスピレーションは受けていたのかもしれませんね。

総合的に見ると共通点はあり、見方として面白い部分もありますが、「玉壺=アメーバ赤痢」というのは少々乱暴で浅はかな結び付けと言わざるを得ません。

パワハラ上司に首をもぎ取られて恍惚とするドMっぷりや、無一郎との漫才のような掛け合いにより、三下面白変態キャラのような立ち回りが印象的ではありますが、やはり彼にも他の鬼のように、キャラクターとしての深みがもっとあると思っています。

※むしろギャグ側の立ち回りもできる上弦の鬼は彼だけ。優秀だ!
※「物語を動かす」という意味でも一番仕事してる。彼がいなければ刀鍛冶の里編は始まらない。なんて優秀なんだ!
※彼の作る壺は無惨様の重要な資金源であり、情報収集もお手の物。すごいぞぎょこたん!

玉壺が象徴する人間の闇 ──価値観の暴走から加害者へ

玉壺は生前から極めて異質な価値観を持つ人間でした。海岸に打ち上げられた彼の両親の遺体は、水死体だったようですから、その姿は常人では見るに堪えないほど痛々しい様相だったはず。しかし、これを見た彼の感想は「美しい」──。

益魚儀にとって両親を失うことよりも不幸だったのは、異質な価値観への目覚めも確かにそうですが、その価値観が人間社会にとって有害であることを誰も教えてくれなかったということです。

人間の価値観は様々ですから、ゾンビ映画を楽しむも良し、グロテスクなシーンのあるゲームを楽しむも良しです。しかし当然ながら、これが他者に危害を加えるような有害な価値観であれば、社会からは淘汰・排斥されるのが人間社会の常であり、社会で生きる上では必要なことです。

益魚儀は幼い頃に両親を亡くし、水死体を「美しい」と感じてからというもの、異種の魚どうしを縫い合わせたり、鱗や骨を集めては「芸術」として楽しんでいました。問題だったのは、近隣の人々はそれを止めるでもなく、生暖かくも冷ややかな目で彼を憐れむだけで誰も彼を止めなかったこと。からかいに来た村の少年が益魚儀によって殺されるまで、価値観を他者とすり合わせることが無かった。これが益魚儀という人間の最大の不幸です。

その価値観は、玉壺という鬼となってから、さらに暴走していきます。益魚儀としての生涯を終える直前まで、価値観の摩擦がなかったのですから当然です。玉壺の恐ろしさは、彼の中では「すべてが正しい芸術行為」であること。

価値観の暴走”は、他者から見れば狂気以外の何物でもありませんが、本人の中では、「生命は芸術の素材」という考え方が当たり前(※しかも、後述する自己陶酔により、その“当たり前”は“至高”に昇華している)。価値観が社会から隔離されて、個人の中だけで増幅され続けた人間と、社会の末路を表しています。

孤立した価値観は修正されません。この構造はフィクションに留まらず、実在する猟奇的殺人事件にも、同じような社会構造があったのかもしれません。玉壺という鬼は、こういう人間社会の闇をも象徴しているのではないでしょうか。

玉壺が象徴する人間の闇 ──歪んだ承認欲求による加害者心理

玉壺という鬼の恐ろしさは暴走した価値観に留まりません。彼に見る“歪んだ承認欲求”は現代でも身近に見られる畏怖対象です。

益魚儀だった頃から価値観が暴走しており、その価値観は認められることも、正されることもありませんでした。鬼と成ってからも彼の暴走した芸術観を評価する者は現れず、益魚儀と玉壺の承認欲求が健全に満たされることはありませんでした。

ちなみに…

  • 陶芸作品(壺)に関しては、童磨が「キレイだねぇ」と発言。ただし、童磨も感性がバグってるか、思ってもいないことを言っている可能性はある。
  • 同じくに関して、鬼舞辻無惨は「高く売れるからわりとお気に入り」という設定も公式ファンブックで明かされる。芸術品としての価値が高いのかもしれない。無惨の営業スキルが高い可能性も。
  • 生命を素材にする芸術観は一貫して「悪趣味」という位置づけ。これは、言うまでもないか。

本来、承認欲求そのものは悪ではありません。褒められたい、認められたいという気持ちは、人間を成長させる重要な動力です。しかし、承認が極端に欠如した状態が続くと、満たされ方が歪んでしまうことがあります。玉壺の加害者心理は、まさにこの“歪んだ承認欲求”のなれの果てです。

承認欲求が健全に満たされないまま大人(鬼)になった結果、

  • 自分の芸術を理解できない相手に憤怒し攻撃する
  • 芸術観や思想を押し付ける
  • 暴力や暴言で優位に立とうとする

という、別の形で自己価値を証明しようとする、幼稚なキャラクター像が完成したのです。

以下では、玉壺の歪んだ承認欲求が加害者心理に発展した流れを、心理学の3つのモデルから整理していきます👇

心理モデル①:代償行動(Compensation)、自己陶酔(Narcissistic compernsatoin)

欲求が“正常な方法”で満たされない時、人は別の行動でその穴を埋めようとします。これが心理学でいう“代償行動(compensation)”です。“代償”となる行動には正負(良い方と悪い方)があり、玉壺の行動心理は典型的な「負の代償(negative compensation)」だと解釈できます。

玉壺が自身の“承認欲求の不満”を埋めるため、承認の代わりにしたのが自己陶酔(narcissistic compernsation)要はナルシスト的思考パターンのこと。
自己陶酔の特徴として「極端に自分の世界に酔う」ことや「他人を下げて自分を守る」ことが挙げられ、劣等感スイッチが押されるとブチ切れる玉壺を説明するのにピッタリな心理モデルです。

作中での“極端に自分の世界に酔う”描写

  • 本人の美的センスのもとで行った人体改造の末に生まれた自身の体を「美しい」「完璧」と評価
  • 自身の作品を「高尚」「素晴らしいでしょう」と評する
  • 終始、自身に対して異常なまでに肯定的(逆に、他者に対して否定的で攻撃的)

作中での“他人を下げて自分を守る”描写

  • 刀を研ぐ鋼鐵塚への妨害攻撃:玉壺の存在にも気づかず刀の研磨に没頭する鋼鐵塚に対抗心を燃やしたが、芸術では勝負をせず、暴力にすり替えている。最終的に、血鬼術 蛸壺地獄で吹き飛ばされても刀を研ぎ続ける鋼鐵塚を「バカか?まともではない」という思考回路で見下す。
  • 自身を承認しない時透無一郎(14歳)相手に口喧嘩で勝とうとする:「あなたが私を承認しないのならば、あなたを否定して優位に立つ」というスタンス。(いるよね、こういう人🏺)

玉壺はこのようにして自身の承認欲求の不満、もとい自尊感情の不足を、ナルシシズムや攻撃などの別の行動で穴埋めしていると捉えることができます。

また、次に述べる「外在化」との掛け合わせにより、彼の行動原理をより具体的に説明することができます。

心理モデル②:外在化(Externalization)

内面の不満や苦痛を“外側の対象へ投げつけてしまう”心理を“外在化(externalization)”と言います。

玉壺も、承認が得られない不満(=自分の芸術観を蔑ろにされる不満)を、「相手の感性がおかしい」「相手の価値観が間違っている」という曲解ともとれる解釈(認知のすり替え)によって、心の均衡を保とうとしています。また、この認知のすり替えに加えて、「他者への怒り・攻撃」という行動に繋がる場合もあります。

玉壺の“外在化”を象徴するセリフ

  • 審美眼のない猿めが!!
  • 脳まで筋肉でできているような貴様らには 私の作品を理解する力はないのだろう
  • 私のこの美しさ 気品 優雅さが理解できないのは お前が無教養の貧乏人だからだ!!
  • (無一郎に壺が歪んでいると言われて)「それは貴様の目玉が腐っているからだろうがアアアア!!!

自分の芸術観が理解されない原因を「人のせい」として、「それなら攻撃して当然」という思考回路で、玉壺は相手を攻撃するに至っています。典型的な外在化のサンプルです。

玉壺が見せる“他者に攻撃的な言動”は「代償行動×外在化」が極端化した心理モデルと言えます。極めつけには、次項で説明する「正当化」によって文字通り暴力が正当化されていきます。

心理モデル③:正当化(Justification)※すべての鬼に当てはまる

自身の行為を、理屈を用いて“正しいもの”に見せかけ自我を守ろうとする心理のこと。

加害行為を“自身の正義”と解釈して自我を守るといった加害者に多く見られる終末段階の心理を説明する心理モデルです。

“正当化(justification)”は玉壺に限らず、すべての鬼に当てはまります。
ほぼすべての鬼は「生きるために殺す(食べる)」という概念を持っていますし、童磨のように「食べて救う」という歪んだ正当性をもはや信念の如く疑ってやまない鬼もいます。

正常な思考回路、あるいは社会的思想において、人間の生命は最も優先されるべき尊厳であるにもかかわらず、異常で自己中心的な思考回路によって殺人が正当化されていることを、「鬼というヴィラン」がうまく表現していると感じます。

玉壺の恐ろしさ:負の無限ループに陥っており歯止めが効かない

問題行動を一時的な安心材料として使うが、それがさらに根本の問題を悪化させて、同じ問題行動を繰り返す心理パターンで、こうした構造を“自家中毒的ループ(self-reinforching loop)”と呼ぶことがあります。身近な例では「ストレス→暴食→後悔→ストレス→暴食…の無限ループ」、「寂しい→SNS→空虚感→寂しい…でSNS依存」などがあります。

玉壺は、代償行動×自己陶酔×外在化×正当化の心理が密接に絡み合うことで、次のような負の無限ループに陥っています。

  1. 自身の芸術観が否定されて、承認欲求の不満が生じる。
  2. 代償行動、自己陶酔により他者に攻撃的になる。
  3. 殺人を犯し、加害者となる
  4. 死体を作品化するが、自身の中で正当化される。
  5. 承認欲求があるので、作品を他者に紹介する
  6. 自身の芸術観が否定される。1に戻る。

→結果、承認欲求は歪み続け価値観の暴走に歯止めが効かない上に、殺人行動が止まらない。まさに鬼畜。

しかしながら、彼の生涯を振り返ってみると、価値観の暴走は人間時代から始まっており、それは彼の両親の海難事故という不運、水死体に対して異常な価値観に目覚めてしまった偶然、それに歯止めをかけるべきだった社会構造の穴に起因していたとも解釈できます。

そう考えると、同情の余地が無い純悪キャラにも、「不幸だった」という視点が生まれなくもない。

益魚儀が両親の水死体を見て「美しい」と感じたとしても、もしも漁村の大人たちが「それは禁忌だよ」と価値観を修正できていれば、彼が人間として生きる道もあったかもしれません。

しかし、小さな漁村という社会は、彼の異常な価値観に“本気で向き合う”ことはせず、静観を貫きました。
結果益魚儀の価値観は孤立し、修正されることはなかった。

彼は鬼となった後もを作り続け、それらは「高値で売れる」ほどに人間社会においても価値のある芸術品でした。

もしも、益魚儀の価値観が修正される機会があったなら──

禁忌を手放し、健全な芸術が正しく評価されていたなら──

益魚儀の作る美しい壺が人々に愛され、価値あるものとして美術館に飾られる世界線があったのかもしれません。

玉壺まとめ:みんなの周りにも“にょろカワぎょこたん”がいる

価値観の暴走は、益魚儀の頃から始まっており、社会はそれを止める構造になっていませんでした。
この記事では、この価値観の暴走と、承認欲求の歪みの連鎖が玉壺という鬼が象徴する人間社会の闇ではないかという考察をしてきました。

一見、世紀の猟奇的殺人犯のような遠い存在のように思えますが、承認欲求の歪みから来る「こじらせ」は意外と身近にもたくさんいます。学校、職場、家庭内、あらゆる場所に「ぎょこたん」は潜んでいるのです。

また気が向いたらWWJ(ワシは/悪くない/爺さん)の記事も書いていこうと思います。それではごきげんよう。

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