潰瘍性大腸炎 闘病体験日記①〜筆者の現在。

2025年2月12日

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秋田リョー
秋田リョー
筆者は潰瘍性大腸炎(中等症)絶賛闘病中。
活動期と寛解期を繰り返しながらも健常者とほぼ変わらず生活ができています。そんな筆者の闘病体験記を執筆中。
同じ病気に苦しむ人に届いて欲しいと思います。

はじめに

筆者が「潰瘍性大腸炎」の病名を授かったのは28歳(執筆時点から約5年前)。
しかしながらなんだか身体がおかしいぞと症状を自覚し始めたのは25歳の時でした。
当時は現在のように「ブラック企業」や「ハラスメント」などという言葉は一般的ではなく、夜中の2時まで残業したり、家でシャワーだけ浴びて睡眠は会社でなんてことを違和感もなく繰り返していて、それ自体にも疑うことなく仕事に没頭していました。

それでそのツケが回ってきたのか、25歳にして初めて迎える厄年の影響だったのか、はたまた偶々当時の恋人との大失恋のストレスからなのか、体調に著しい異変を感じたのです。腹は痛いし、何やら赤黒い下痢が止まらない。正直明確にいつからだったのか覚えてもいません。

そこから「潰瘍性大腸炎」の病名診断までも紆余曲折あって長かった。
それまでの間は色々な薬を処方されたり、自分なりに健康維持のための活動をしたりしましたが、いよいよ身体に限界が来て、貧血で倒れ、総合病院に入院して、病名が付いて、自分の身体と症状に合う薬に出会うまでは本当に地獄のような毎日で辛かったです。

現在はというと、当時勤めていたブラック気味の会社を退職し、新しい環境でサラリーマンをしながら健常者と同等の生活ができています。
良縁にも恵まれ、病気への理解も深く献身的な妻に手をとってもらいながら充実した日々を過ごせています。

この闘病体験記が、今も同じ病気に苦しんでいる人を勇気付けられれば幸いと思っての執筆です。
病名が付いて身体的または経済的に不安な方から、まだ病名は付いていないけれど疑わしい症状に悩んでいる方に届けばいいなと思います。

指定難病97「潰瘍性大腸炎」と筆者の現在。

潰瘍性大腸炎とは

潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)指定難病97

大腸の粘膜に炎症が起こることにより下痢や腹痛、血便(便に血が混ざる)などの症状が現れる病気のこと。

潰瘍性大腸炎の明確な発症メカニズムは分かっていませんが、1つの原因によって引き起こされるのではなく、遺伝や食生活などの要因が重なって、免疫に異常が起こることで発症すると考えられています。

概要はこんなところでしょうか。下痢や血便などの諸症状が起きている状態の活動期と健常者と全く変わりのない寛解期を繰り返す病気だと認識していて、抜本的な治療法はまだ見つかっていないことが未来を曇らせる最大の要因です。

日本国内において潰瘍性大腸炎の患者数は20万人弱いて指定難病においてその患者数は特異だそう。20代が発症年齢のピークであったり、喫煙者は発病しにくかったり、他にも様々な観点から傾向のようなものはあるものの、決定的な関係性は認められないそうです。私自身はというと25歳で発症した当時よりもっと前から喫煙していますので、自身に当てはめてもより「分からない」と思います。

入院した当時、先生や看護師さんに雑談がてら聞いてみると「若くて、忙しい人が発症するイメージはある」と言われると、それは確かに当てはまる…と感じましたが、実際のところは分からないので先生方も濁すような言い方はしていました。

自分自身の理解の中では、大腸が免疫異常を起こして悪玉菌だの善玉菌だのをお構いなしに無差別攻撃を続けた結果、火の海になって自分も焼けてしまった(炎症した)と理解するとなんだか納得。原因が免疫異常だから、免疫を抑える薬(ステロイドや免疫抑制剤)を飲み続ける間は体調が良くて、身体に合わないものを食べるとアレルギーのようにして免疫が暴走するのかな?と今のところは思っています。
(なので、なるべく刺激物や過度なアルコールは控えるようにしています。)

筆者のステータス。

  • 性別:男性
  • 年齢:30代前半(症状を自覚し始めたのは25歳)
  • 身長・体重:172cm・50〜52kg
  • 愛煙家(20歳から現在まで、22歳から加熱式タバコ)
  • コンビニ弁当率高め、甘いもの、辛いもの、酸っぱいものが好き
  • アルコールは月1〜2回の飲み会で飲む程度
  • 当時月150時間残業当たり前、休日出勤も当たり前(好きでやってた)
  • 現在は完全週休2日&月残業多くても25時間程度
  • ストレス溜め込みがちな性格
  • 元からお腹が弱くはなかった
  • 虫垂切除経験は無し
  • 診断結果は「潰瘍性大腸炎 中等症
  • 目立つ症状は下痢血便腹痛

こんなステータスです。この記事を書いている現在は寛解期で、2年前に一度1〜2ヶ月ほどの活動期があって、それが落ち着いてからはずっと調子が良いです。この時はごっそり有給を取って会社を休みました。

改めて書いてみると発症当時の働き方はクレイジーでしたね…好きでやってはいたものの…。無理だけはしてはいけませんね。今思えばただでさえストレスを溜め込みやすい性格な上、ストレスの種類が特殊な職業でもあったなと思います。大腸は胃腸と同じくらいストレスを感じやすい器官だと聞いたことがありますし、自分自身でもストレスやプレッシャーを感じると症状が悪化するのを自覚していました。無関係ではなかったと思います。

現在の生活。

2年前に一度活動期はありましたが引き金になったのは多分おそらく年末年始に飲み過ぎた(おバカ)。それを除いては、辛かった時期に比べると非常に落ち着いて充実した生活が送れていると思います。

活動期の辛かった時期
・仕事中でも急に腹痛がきてトイレに駆け込んでいた。
・当時の職場はトイレが3階にしかなかったためとても辛かった。
・長時間の運転は腹痛が不安で避けたかった。
・買い物中など常にトイレの位置を意識しないといけなかった。
・東京や大阪では公共のトイレが少なく、行きたくなかった(行けなかった)。
・そのため出張はNG。
・釣りもトイレが遠い場所では厳しかった。キャンプも厳しい。
・夜中に腹痛や便意で目が覚めた。
・血便がグロテスク。
・常に貧血気味だった。
・最終的に、貧血でダウン。全体の約3分の1の血液を失っている状態だった。

寛解期の現在
・トイレは毎朝規則的で健康な便が出る。
・長時間の運転も余裕。
・食事も好きなものをほぼ気にせず食べている。
・東京や大阪などでも出張やレジャーを楽しんでいる。
・そもそも腹痛がほぼない。血便や貧血もない。
・釣りは色々なスポットへ行けるようになり、キャンプもできる。
・ただし、免疫抑制剤の影響で風邪をひくと重症化しやすい気がする

ビフォーアフターを比較してもやはり活動期は辛かったと思います。現在進行形で同じ病気に苦しんでいる人も、寛解期を迎えられれば平穏な日常に戻れることを忘れずに辛さを乗り越えられると信じています。同時に、また何かの拍子に活動期に戻ってしまわないよう、私も気をつけなければ。

潰瘍性大腸炎を患っても「普通の日常」は送れる

シリーズ第一号のこの記事で伝えたいのは今は辛くても健康な日常は送れるようになるということです。もっとも、突発型劇症のパターンもあるようなので全ての傷病者がそうとは言えないかもしれませんが、少なくとも筆者は地獄のような毎日(およそ4年ほど)が嘘のように現在健康な生活を送ることができています。

次回の記事では発症当時、異変を感じて病院を受診するまでの過程を書こうと思います。乞うご期待。

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