「上弦の鬼=病気説」を全否定してみる。突っ込みどころ満載のこじつけ論法もいい加減にどうぞ。

・鬼滅の刃 上弦の鬼のモチーフ考察に興味がある!という人。
・上弦の鬼=伝染病ってなんだか嘘くさくね?という人。
・鬼滅の刃のファンです!暇です!という人。
※当ブログは考察系ブログとは無縁ですが、筆者あきたりょうが鬼滅の刃にハマりすぎた結果爆誕してしまったなんちゃってお茶濁し考察コンテンツです。「待ち合わせ時間になっても相手が来ない…」「病院や車屋の待ち時間が思ったより長い…」などのレベルで暇な方は読んでみてください。
※アニメを通り越して原作のネタバレを盛大に含んでおりますのでその界隈の方はご注意ください。
「上弦の鬼=病気」って本気で言ってる?
どうもこんにちは。鬼滅の刃100週目のあきたりょうです。今更だって君は言うかな。今日のテーマは「上弦の鬼=病気説(伝染病説)」。なんだそのこじつけは。
至るところで見かけるこの考察。終いには実家の母ちゃんも言い始めました。黒死牟=黒死病(ペスト)て、ダジャレか!童磨の氷より寒い。いや、童磨の氷は寒い通り越して痛そう。いや吸ったらしぬのか。
ということでタイトル通り全否定して参りたいと思います。
そもそも“病気”への結びつける文化、よくない
物語の裏設定の考察が飛び交うのは面白いし、作品理解を深めるものとして良いと思うのですが、推しキャラがそんなこじつけで強引に分類されたら嫌じゃないですか???巷での考察はこう。
- 上弦の壱 黒死牟 … 黒死病(ペスト)
- 上弦の弐 童磨 … 結核
- 上弦の参 猗窩座 … 麻疹
- 上弦の肆 半天狗 … ハンセン病
- 上弦の伍 玉壺 … アメーバ赤痢
- 上弦の陸 堕姫・妓夫太郎 … 梅毒
最初は「ふ~~~ん」と思いながら見てましたが、ちょっと考えると、いや…無理があるでしょうと。名前が似ている、色がそれっぽい、症状の一部が連想できる…といった表面の一点だけから強引に病名に結び付けているように感じています。
考察を楽しむ姿勢自体を否定するつもりはありませんが、こじつけ考察をネタとして楽しむ人もいれば、物語の本質から外れた診察ごっこにも見えるその内容が気に喰わ…よろしくないと感じます。
本記事はあくまで「雑な結び付け」への突っ込みを目的として、主要な説を検証しながら論理的に反論したいと思います。(メガネクイッ)
この記事のスタンスを明確に(大事)
私は現実の病気そのものに対して言及するつもりはありません。揶揄する意図も一切ありません。
批判の対象はあくまで「病気の特徴の一部に似ているというだけでキャラクターの裏設定そのものを疾患として断定する考察手法」です。
特に、差別や誤解と歴史的に結びついたことがある病気をフィクションのキャラクターの象徴として安易に扱うことは慎重であるべきで、作者吾峠呼世晴氏もそんなことをするはずがないでしょう。
この記事は現実の病気そのものを揶揄する意図は一切ありません(大事なので2回目)。
名前が似てるだけ選手権優勝「黒死牟=黒死病(ペスト)」説
名前が似ている以外の根拠はどこですか???
不在のようですので宅配ボックスで良いですか?「黒死」という言葉のインパクトに引っ張られた者の末路です。宅配ボックスに牟だけ入れときます。
一応考察の根拠としてはこう👇
- 「黒死牟」という名前が「黒死病」を連想させる
- 上弦の壱(=上弦最強の鬼)という設定が、世界最悪の伝染病という位置づけと一致する
名前の話は「ダジャレです」でもう良いとして、2の「世界最悪の伝染病(表現は多岐に渡る)」も完全な誤りではありませんが、致死率でいえば狂犬病やエボラ出血熱、死者数でいえば結核や天然痘が上位に当たります。
仮に「最悪の病気=最強の鬼」の裏設定を採用するなら、黒死牟は“最悪ランキング”で他の感染症に負けた瞬間どうすればいいのでしょうか。まさか裏設定でも、黒死牟には劣等感を背負えというのか…?
冷静に考えても黒死牟と黒死病(ペスト)の共通点は皆無といって良いでしょう。黒死牟は、透き通る世界を習得した月の呼吸の使い手でありながら鬼になり最強の座に君臨するという超カッコイイ設定を持ちますが、ペストはノミ(または飛沫)が媒介するばい菌です。ばい菌。(正確には、ノミや飛沫が媒介する細菌感染症)
黒死牟という鬼の本質は、「長男の弟への嫉妬」「武の道を極めることへの執着」「武家の長男という“呪い”」といった全く別のところにあります。深い深い本質があるのです。
その彼の深すぎる物語を、名前が似ているだけでばい菌扱いするのは無理があると言わざるを得ないでしょう。
血鬼術で肺を壊死させる…からってなんやねん「童磨=結核」説
正直これだけはかなり“それっぽい”と思います。結核は肺胞をじわじわと壊死させることで呼吸困難や多機能不全を引き起こす病気。「肺を(氷で)破壊する童磨=結核」という連想ゲームは矛盾がない。ただしこれは表面的な一致です。
よく語られている根拠はこう👇
- 肺を氷結させて壊死させる血鬼術をもつ
- 童磨を倒した栗花落カナヲが片目を失明したことが、結核の治療薬の副作用(視力障害)と重なる
結核菌はまず肺胞を壊死させるところから始まるためこの点も共通していますが、童磨の能力は桁違いの初見殺しチート能力です。まさに氷の化身。他作品でもここまで冷気を致死的に扱うキャラクターは稀有ではないでしょうか?だらけきった正義も息ができないレベル。
結核の治療薬に「視力障害」があるという点と栗花落カナヲの失明も面白いですが…
伊之助は?彼はノーカン?
童磨の能力は「触れてもアウト」ですが結核菌はそんなことはありません。あまりにも強すぎる能力がゆえそのたとえは伝染病というより自然災害の方が近いでしょう。
鬼滅の刃の裏設定を「病理を克服するまでのドラマ、メタファー」と捉えると“童磨を取り巻く考察”は非常に面白いですが、やはり決定的な根拠としては薄い。どちらかというと、童磨の心の冷たさが血鬼術に反映されたと考える方が納得感があります。ちなみに私は童磨推し。やかましいわ。
猗窩座ファンと麻疹に謝れ「猗窩座=麻疹」説
こじつけランキングぶっちぎりの独走状態なのがこちらの「猗窩座=麻疹」説になります。根拠が薄すぎてサガミもびっくりです。あ、すみません。
主に語られている根拠がこちら👇
- 麻疹で特徴的な赤い発疹が、猗窩座の紋様に似ている(似てない)
- 麻疹の古い呼び方「赤斑瘡(あかもがさ)」が名前と似てる(似てない)
そもそも猗窩座の紋様や技のモチーフに“病理要素”が一切なく、事実として花火の文化と人間時代の記憶が基盤にあります。
※猗窩座の技の数々は花火が由来とされています。人間時代の拍治は妻と共に花火を見ることを約束していました。滅式や空式は花火の用語。青銀乱残光など、実在の花火も登場。
麻疹の“爆発的な”感染力は…まぁ、もう麻疹の話はやめましょう。赤ちゃんの時にワクチン打つアレです。以上です。猗窩座のドラマは人間時代の心の傷(トラウマ)です。
- 弱者への慈愛、師匠と恋雪の愛、それらの喪失による心の破壊
- 「強さ」でしか自分を証明できない
- 過去の苦しみから逃れられない呪い(トラウマ、反応性攻撃性)
- 過剰な男性らしさという価値観(「強くなくてはならない」ことへの執着)
いやもう、文字で表現できません。猗窩座は麻疹じゃないし麻疹は猗窩座じゃないです。以上。
それ大丈夫か?「半天狗=ハンセン病」説
半天狗は上弦の鬼の中でも屈指のセンシティブ案件です。考察民が好き勝手言っていますが、結論全部違う。やめとけ。やめときなさい。
主に語られている根拠はこちら👇
- 名前の響きが似ている。もうええて。
- 半天狗の外見造形に皮膚の瘤、変形が見られる
- 被差別の歴史と、半天狗の「被害者ヅラ」が似ている
- ハンセン病は「らい病」とも呼ばれ、半天狗の「嘘つき(英語で"lie")」が共通
これは、ちょっと…
まず前提として、ハンセン病は現在では治療法が確立し、隔離の必要もなければ適切な治療で外見的特徴は抑えられ、これが全員に出るわけでもない。これを無視して外見の結び付けをするのは危険が過ぎるのでは?
一方で半天狗は、
- 自分の罪を認めない
- 責任を他人に押し付ける
- 臆病と怒り、いろいろな感情が分裂
- ワシは悪くない!と被害者ポジションに逃げ続ける
という“心の逃避と異常なまでの他責性”をもつキャラクター。病気のメタファー要素は皆無。むしろ心理テーマを取り扱ったキャラと見た方がよっぽど面白い。
この話はもう“無し”でしょう。
にょろにょろ可愛いみんなのぎょこたん「玉壺=アメーバ赤痢」説
おいおい、俺の玉壺たんだけなぜ寄生虫なんだ?
主に語られている根拠はこちら👇
- アメーバ赤痢によってできる潰瘍がフラスコ型(つぼ型)
おいおい、玉壺の本体は壺なのか?つぼ型の潰瘍というのは、寄生虫が大腸粘膜に侵入した後、横に広がって浸食した結果です。え、それ以外に根拠ないの?と思ったそこのアナタ。まだありますよ。玉壺が操るのは水や魚の血鬼術。アメーバ赤痢もなんか水っぽい。水っぽいぞー。
玉壺の核は、
- 他者を見下すが、幼児的で中身がない
- 倫理を逸脱した自己中心的な芸術
- 異常な承認欲求
つまり、中身スカスカ芸術家コンプレックスのようなものがモチーフであり、寄生虫は関係ない。
お疲れさまでした。
事の発端な気がする「堕姫・妓夫太郎=梅毒」説
結論から言うと生前の2人の母親が梅毒だった“と思われる”、妓夫太郎はそれゆえ先天梅毒だったと“推察できる”だけで「モチーフは梅毒」とするのは短絡的で危険です。
主に語られている根拠はこちら👇
- 2人の母が梅毒であることが妓夫太郎の回想シーンで示唆されている
- 生前の妓夫太郎にも先天梅毒ともとれる外見描写がある
- 妓夫太郎の血鬼術は“毒”を扱う
- 堕姫の生前の名前が「梅」
ということで完全に“連想させにきている”わけですが、これが「モチーフは病気」とするのは短絡的という話です。
作中では唯一病気についての間接的な言及がされているため、信ぴょう性が高い考察として語られがちですが、堕姫と妓夫太郎が語るのは「生まれの不公平」と「兄妹の共依存」であり梅毒そのものの恐怖ではありません。
生きた証を否定され続けた兄と、美貌にすべてを奪われた妹の共依存ドラマが、病理の象徴という考察で片付くはずもありません。彼らは“2人で1つ”なのです。どこを切っても“心理”。病理モデルの出番はありません。
この兄妹の魅力は、
- どんなに歪んでも(鬼になっても)手を離さない
- 価値観がめちゃくちゃでもお互いに理解者
- 地獄に堕ちるまで一緒
という、世界一いびつで美しい愛。
短絡的に病気に結び付けたらこのドラマが全部薄まってしまうやないか。
出直してこい!
便利枠「鳴女」、やんちゃ坊主「獪岳」は???
上弦の鬼=病気、伝染病とするなら、上弦の欠員補充に入った2人は何なの?という話も浮上します。
この辺りの整合性のなさも、「上弦の鬼=病気」説を否定する根拠にはなってくるでしょう。
まとめ:上弦の鬼は“人間社会の闇“の象徴
パワハラ先生「無惨様」は別記事で考察するとして、人間の闇や恐怖を象徴していると考えるとすべてのキャラクターに納得感が出てきます。どのキャラも一言では決して表せない深さを持っていますが、あえて言うならば
- 黒死牟:嫉妬と劣等感
- 童磨:虚無と信仰の危うさ
- 猗窩座:トラウマと暴力
- 半天狗:現実逃避と異常な他責性
- 玉壺:承認欲求の暴走
- 堕姫・妓夫太郎:不平等と共依存
- 鬼舞辻無惨:社会に蔓延る“理不尽そのもの(死、病気、災害、犯罪、不運、社会構造)”
を、それぞれ象徴していると考えます。モチーフを病気と決めつけてしまえば簡単で面白い面もありますが、鬼滅の刃という作品はもっともっと深いところに本質がある。例えるなら、インスタントラーメンも捨てがたい美味しさですがラーメン屋さんはもっと美味しいみたいな話です。
また気が向いたときに、それぞれの鬼について深堀考察をしてみたいと思います。
気が向いたら。











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